《読書感想》
◆神様の暇つぶし◆
私を抱きたいではなく、撮りたいと言った

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「神様の暇つぶし」

神様の暇つぶし:千早茜
神様の暇つぶし:千早茜

私を抱きたいではなく、撮りたいと言った

神様の暇つぶし:読書記録
神様の暇つぶし:読書記録

「神様の暇つぶし」について

本作は、恋愛小説の枠を超えた、記憶と身体、そして「関係の不可逆性」を描いた濃密で、さらに魂に触れるような物語。

「神様の暇つぶし」あらすじ

主人公は、父を亡くした20歳の大学生・藤子。
彼女が出会うのは、父より年上の写真家・廣瀬全(ぜん)。

夏のひとときを彼と過ごし、二人は食事を共にし、会話を重ね、やがて二人は恋に落ちる。
しかしその関係は、甘美であると同時に、痛みと喪失を孕んでいたのだ。

全が遺した写真集『FUJIKO』を通じて、藤子は自分の記憶と向き合うことになる。
そして気づく――「神様の暇つぶし」だったのは、彼ではなく自分自身だったのかもしれないと。

「神様の暇つぶし」の感想

主人公である藤子の視点から語られる回想は、読者自身の記憶や感情を揺さぶる力を持ち、特に食事の描写は欲望と生命力の象徴として印象的だった。

桃を齧る藤子の姿、滴る果汁は、彼女の変化と官能性を象徴する場面として語られ、身体性と感情が交錯する瞬間を鮮やかに描かれているように感じた。

この作品は、恋愛というよりも「人と人が関わることの意味」を問いかける作品であり、「誰かと関わると、もう出会う前の自分には戻れなくなる」という言葉が、読後に強く残る。

千早茜さんの筆致は濃密で繊細であり、藤子の内面の揺れや、全との関係の複雑さを言葉の温度で描き出しており、『神様の暇つぶし』は、読む者の記憶や感情を濾過し、結晶化させるような一冊であった。

恋愛の痛みと美しさ、記憶と記録、そして食と身体の交錯を通じて、読者に「生きること」の本質に触れる文学的体験を与えてくれる。

タイトルの「神様の暇つぶし」は、当初は全の視点からの命名と思われるが、物語の終盤で藤子自身が“神様”だったのではないかという逆転の視点が提示されることで、読者に深い余韻を残す。
こういう展開がさすが千早先生と思わせてくれる!

読旅の分析・評価

雪の花:分析・評価
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「神様の暇つぶし」SNSでの反応!

SNSに投稿されている「神様の暇つぶし」に関する投稿を見つけましたので掲載しています。

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Xでの反応!

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